9月28日(月)
5代目柳家つばめ『創作落語論』(河出文庫) を読む。 お客さんのTさんから頂いた。 つばめ師匠は1929年生まれ。 うちの師匠と同い年だ。 45歳で亡くなった。 大衆とは、落語とは、 っていうことを考えていた。 とかく、 残った落語が価値あるもので、 残らなかったのは、価値がない、 かのように言われる。 しかしそうではない。 大衆と一緒にあるのが落語だ、 とするなら、 残らなかったものにすばらしいものがあったかもしれない。 その時の大衆に受けたかもしれない。 時代が変われば、もうできない、ということはある。 ということは、残った残らないで判断すべきではない。 残らないことを恐れるな、 ということなんだよな。 つばめ師匠の考えていたことが、 よくわかる。 うちの師匠のことも書いてあって、 「一鶴先生の講談は邪道そのものである。 どの意味の邪道だ?と言われたら、 どの意味でも通じる邪道と申し上げておこう」 これは最高の褒め言葉だ。 南鶴大師匠のことも書いてある。 「田辺南鶴先生も私の大好きな先生だった」 他の講釈師には一切触れていない。 40歳を超えると、創作意欲が衰える というような、気になる言葉もあった。 新作講談を作るにも共通する、 非常に参考になることの数々。 この本は、他の仲間(同業他社の人達)には 教えたくないな、 と思った。
by ryoukakunokai
| 2009-09-28 23:37
| 凌鶴日記
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