3月1日(木)
砂田弘『公害とたたかった鉄の人 田中正造』 (講談社火の鳥伝記文庫、1981年) を読む。 生半可でない、全身全霊、決死の覚悟は 心を打つ。 仮に講談にするとしたら、 どう構成すべきか、と考えてみる。 共感できるところはどこか。 どこにスポットを当てるか。 どこを山にするか。 聴き手に「公害」を受け入れる土壌があるか。 「公害」を演芸で扱えるか。 いいエピソードはあるか。 伝記としては非常に興味深かったが、 さらに資料にあたらないと。 講談化は非常に難しいと思った。 以前、新作を作り続けていらっしゃる琴星先生に 言われたことがある。 「暗いよね~」 何の作品の時だったか、 先生に構想を話した時に、 言われた。 希望が持てるような、 最初は絶望のどん底にあっても、 最後幸せになるとか・・・ 演芸として成立するかどうかは、 そういう要素が必要なんだろうか。 講談になる題材、難しい題材、 いまだによくわからない。
by ryoukakunokai
| 2012-03-01 21:58
| 凌鶴日記
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