4月5日(土)
雑俳揚巻の会へ。 師匠が選をして抜いた作品に対し、 「このシーデーを景品にします」 と、頂いた。 「師匠、シーデーじゃなくって、 シーディーです」 と、突っ込まれていた。 以前は、よく間違いを師匠にこっそり指摘していた。 間違えることが師匠の恥だと思っていたし、 特に名前を間違えるのは失礼だと思っていたからである。 最近、気づいても、あまり師匠に指摘しなくなった。 シーデーを指摘することによって、 その次に、もっと面白いことを耳にする機会を逸してしまうのは もったいないからだ。 いや、そうではない。 田辺一鶴という79歳の芸人が、 シーデーというところに味があると気づいたのかもしれない。 自分でもよくわからない。 でも人から、シーディーですよと言われるのも たまにはいいなと思った。 満面の笑みを浮かべて、 「すみません」 と頭を下げていた。 今度、師匠が 「シーディー」 と言ったら、すかさず 「シーデーですよ」 って言ってみたらどうだろうか。 どういう反応をするだろうか。 いや、待てよ、 「シーデー」と言って、 「シーディーですよ」と突っ込まれるのを待っているのか? だんだんわからなくなってきた。
by ryoukakunokai
| 2008-04-05 20:41
| 凌鶴日記
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