5月26日(火)
妹の写真展を見に行く。 現代写真研究所第34期本科1年修了展「道草」。 新宿の全労災ホールスペースゼロ展示室。 写真を見ていると、 話声がきこえた。 1年通ったが、次どうしようか迷っている という青年が、受付に座っている人と話をしていた。 まだ今期の授業料を払えていず、 次のステップを考える状態にはないが、 どうしたらいいだろうか、 というような内容だった。 本科だか専門科だかのコースに行きたいが、 ついていけるかどうか心配だ。 しかし今ここで決断をしないと、 この熱い思いが続くかどうか、自分でも心配だとか。 今、その青年は非常にいい表情をしているのではないか、 その表情をカメラにおさめれば、いい写真になるのでは、 と、ふと思った。 カメラは持っていないが。 そして何気なさを装って振り向いてみた。 しかし自分が予想していたような表情は、 なぜかそこにはなかった。 悩みを抱えた表情を、 その青年から、うかがうことはできなかった。 これはどういうことなのか。 背を向けて自分のイメージを膨らませすぎたのか、 もっともカメラにおさめれば、 いい表情が映っているものなのか。 同じ表現でも、 話を膨らませていく想像力が勝負の講談と、 写真の世界とでは、違うのかもしれないと思った。
by ryoukakunokai
| 2009-05-26 21:52
| 凌鶴日記
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