6月6日(土)
早稲田の日本キリスト教会館へ。 宗教者ネットワークの 「宗教者として裁判員制度を考える」 と題されたセミナーで、 新作講談「死刑と裁判員制度」をかける。 講談の後に、参加者がグループ討論。 さらに、その発表、 そしてそれを受けて、 弁護士の先生がまとめておられた。 さすが現場にいらっしゃる弁護士だ。 話のおかしい点の指摘があったのはうれしかった。 強盗致死は死刑または無期であり、 私の話では、どちらかを選ぶことになっているが、 実際は情状酌量で減刑できるのだそうだ。 「酌量減刑」とおっしゃっていた。 また、以前も強盗致死ではなく強盗殺人では と指摘されたこともあるが、今回も、 「強盗殺人だと思いますが」 とおっしゃっていた。 修正をしたい。 また、死刑が多数決で決まってしまうことの疑問を 講談の中では訴えているが、 なぜ、今回の裁判員制度において、全員一致でなく多数決になり、 それに対し、それほど反対がなかったのかといえば、 現在の裁判官による裁判で、 死刑を最終的には多数決で決めているからで、 それと整合性がとれないからだという説明があった。 なるほど。勉強になった。 しかし最高裁では、 死刑という反対意見がついて無期になることはあっても、 その逆、つまり「無期という意見もあったが」 という反対意見がついて死刑になったことはない。 つまり最高裁のところでは、 全員の裁判官が死刑と言って、 はじめて死刑になるという建前だとのこと。 宗教者ネットワークでは、これまでに時折勉強会を開き、 情報交換していらっしゃるようだ。 今回は裁判員として参加すること、判決にかかわることを、 宗教者としてどう考えるのか、というテーマ。 生きること、死ぬことをどう考えるか。 更生するとは。 そもそも人間は完全ではないんじゃないか。 誰でも過ちをおかすものではないか。 加害者が死ねば、被害者は救われるのか。 被害者と加害者をつなぐにはどうしたらいいか。 被害者に宗教者としてどう接するのか。 世俗的なことと宗教と分けるのか。 などということに、 たぶん相当悩み、考えておられるように 討論から推し量ることができた。 殺伐とした現代社会において、 宗教者の果たす役割は大きいかもしれない。
by ryoukakunokai
| 2009-06-06 23:54
| 凌鶴日記
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