5月31日(土)
TOHOシネマズ府中で、 映画『山のあなた〜徳市の恋〜』を見る。 目の見えない、按摩は、おそらくこういうしゃべりと動きをするだろう という演技をきちっと押さえている。 そうか、按摩はこう演じればいいのか。 そういう意味で勉強になった。 按摩の出て来る講談もある。 でも徳市含め合計5人の按摩を、 仮に講談で描けるかというと、 かなり難しい作業だ。 講談で描き分けるだけの演技力は自分には、まだない。 しかし自分の演技力は置いといて、 あえて感想を言うならば、 目の見えない按摩の人が、 徳市以外に4人登場する今回のような場合、 他の按摩のしゃべり方を変えたほうがいいのではないか。 目の見えない人は、おそらくこういう動きをするだろう、 と思いながら演出しているため、 5人すべて、台詞が軽く、そして高い声に なってしまっていないか。 目が見えない人が、皆そういう声は出さないだろ って突っ込みを入れたくなる。 映画、座頭市の勝新は、 軽く高い声も出すが、時には低くすごむ。 だから格好いいのだ。 軽い、高い声の情けない徳市にするなら、 他の4人は、もう少し低い声のしゃべりにしたほうが メリハリがあっていいのではないか。 でもそういう演出的なことは別にしても、 草薙くんなら座頭市を演じることが出来るのではないかと思った。 勝新太郎の印象があまりにも強いが、 草薙剛なら、と、 この映画を見て、ふと思った。 「目が見えないくせに」 という台詞があった。 「くせに」とすることによって、 徳市には好意を持っていないということを描きたいということか。 気にし過ぎかな? ん〜もし講談で、私が描くとしたら、 「目が見えないのに」にするだろうな、きっと。 ちょっと気になった。
by ryoukakunokai
| 2008-05-31 22:35
| 凌鶴日記
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